「ソニー再生」を読んで感じたこと

自分で取り寄せたものではなく、

他人からいただく本は、今自分はこれを読む必要がある、という啓示を受けた気持ちになります。

普段は自分で取り寄せた本を気の向くまま読んでいますが、

そういう本は、勢いで、新鮮なうちに、一気読み。

本は腐るものではないけれど、タイミングを大事にしたい。

「だれから」「なにを」「いつ」を大事に、もっと敏感に。

さて先日、いつも良くしてくださっている方に、平井一夫著の「ソニー再生」という本をいただきました。

以下感想です。

自分ひとりではなにもできない、と言い切る平井氏。

お人柄と生き様から得た、豊かな人脈と、

これはこのひとに振れば大丈夫、というひとを見る力、采配センス、自身の傾聴力、人間力ともいえる他者を巻き込む力で、

チームとしての力を最大限に引き出し、数ある難所を乗り越えていきます。

難しい判断になればなるほど、特に心が痛むような判断であればそれだけ、経営者は「自ら」メッセージを伝えなければならない。リーダーをそういうシーンで、逃げてはならない。

平井氏は、会社を辞めてもらうこと伝えることを、必ず自分自身で行いました。

痛みを伴う判断を、他人任せではなく、平井氏自身が都度、痛みながら行ってきたことに、ぐっときました。

憎まれるようなとても気の進まない仕事、伝えといて、と誰かに託すこともできたでしょう。

その方に敬意を示す丁寧な姿勢は、

去る人にとっても残る人にとってもすごく救われたのではないでしょうか。

異見を募り、それらを取り入れていくことは経済哲学という以前に私の人生の歩みそのものだった。

p.201

日本と海外の生活を行ったり来たりする幼少期・青年時代を過ごした平井氏。

環境が変わるたびに、常に柔軟に、そこでの新しい見解を取り入れていかなければ順応できない。

そして子供ながらに必ず自分の世界が少し広がるという経験を重ねてきました。

転ばぬ先の杖、というように、

大人は子供を、転ばないように転ばないように、たくさん杖を持たせがちだけれど、

転ばせないことよりもっと大事なのは、

子供のうちから転ぶという小さい失敗をたくさんさせることかもしれません。

平井氏のように、転んでも転んでも、そこから立ち上がる「タフさ」「柔らかさ」

反するものをどうバランスよく併せ持つかがカギかも、と思ったり。

会社設立の目的の第一項に書かれた「愉快ナル理想工場ノ建設」を何度か引用してきたが、実はこの趣意書の「経営方針」の第一項には「いたずらに規模の大を追わず」と記されている。  

つまり「量より質」は、もともとソニーがDNAとして受け継いできたものなのだ。我々はその理念を再現しただけだ。だが、ソニーはどこかで「いたずらに規模の大を追わず」の精神を忘れてしまっていた。我々は危機を乗り越えようとするプロセスでその大切さに気づき、もう一度取り戻そうとしたのだ。

「いたずらに規模の大を追わず」

目立つことや規模の大きいことのほうが、価値があると感じてしまったり、

小さなことには価値がないと感じて、いじけたり落ち込んだり、

スケールが大きいことはとても素晴らしいけれど、

スケールを大きくすることが目的になってはいけないよね、という話で、

哲学的なものを感じました。

立ち止まるつもりはない

p.275

この本は、

「立ち止まるつもりはない」

という一文で締めくくられています。

この最後の一文が、平井氏の生き様、心持ちをよく表しているように思います。

また、この本で一番伝えたかった言葉のように感じました。

これまで培ったものを「現在」に余すことなく注力する、というような

「動」のエネルギーを感じます。

貧困により、学力や最終学歴の差といった教育格差が生じるだけではなく、習い事を頑張った、休みに家族で旅行にいったなどという子供時代の貴重な経験を積むことができなくなります。それは子供たちから多様な未来を思い描く想像力を奪い、人生の選択肢を狭めることへとつながっていきます。

p.276

平井一夫氏が現在取り組まれているプロジェクトKIBO のリンクを貼らせていただきます。

https://www.projectkibo.org/

支援の輪が広がりますように。

ありがとうございました。

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