「また明日」を読んで、感じたこと

順番が前後しましたが、忘れる前に今年読んだ1冊目の本について書いておきます。

1月に木城町の図書館で借りた、群ようこさんの本、「また明日」

本当は、群ようこさんの「捨てる」という本を目当てで図書館に行ったのですが、なかったので代わりに何気なく手に取った本です。

「捨てる」ことに対して、他の人はどんな価値観を持っているんだろう、というのがここ数年の関心事でして。

出会えなかったその本は、またリベンジしたいと思っています。

さて、本題の「また明日」、小説というものを、久しぶりに読みました。

最近は自己啓発本とかハウツー本とかが多めだったので。

教訓や説教がないのは小説の好きなところですね。読書ってほんと贅沢。

judgmentalにならないように、目を平らにして読み進めました。

同じ小学校だった昭和30年代生まれの5人の男女のそれぞれの半生が淡々と書かれています。

だんだんおとなになっていく様子と、変わり続ける環境と自分自身と。

既婚も未婚も離婚も、子供も親もいたりいなかったり。

就職していたりしていなかったり。

ひとさまの一生の流れ5人分をのぞかせてもらっているような、そんな感覚で読ませていただきました。

中学校で同じ制服を着て、同じものを食べて、同じ教室で勉強して、一緒に同じ毎日を過ごしていると、全員このまま似たような人生を歩んでいくのかな、とぼんやり感じていた幼い頃の自分を思い出しました。

小学校で書かされた自分年表。生まれた日、卒園した日、入学した日、、、できあがったみんな似たり寄ったりの年表。

守られていて、無頓着で、とても幼かったあの頃。

後半の章では、みんながおじさんおばさんになったころ、ひょんなことから再会します。

疎遠だったのに、再会したとたんはしゃげる相手っていいですね。貴重ですね。

不変の真理的な、一定のものなんて何一つなくて、「うまくいく」「うまくいかない」という状態は、一時的なもの。

隣の芝生は青く見えがちだけれど、なにも抱えていないひとなんていない。

そんなこんなで酸いも甘いも味わいながら生き抜いての再会。

自分の人生の先に、この5人のような素敵な再会が待っているのかもと思ったら、

イヤな人間になってないようにいまの毎日を噛みしめ噛みしめ、丁寧に重ねなくては、と思いました。

この本を読むと、巷にあふれる「平均」を出すアンケートの意味の無さとそれに振り回されることがいかに滑稽か、感じられます。

あと、読む自分の年齢で、感じ方も変わりそう。

10年くらいごとにまた読みたいです。

お読みいただきありがとうございました。


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