ペラペラは「目標」じゃなくて「結果」だという話

「どうすれば英語がしゃべれるようになりますか」はよく受ける質問のひとつである。

先日大人向けの脳トレ英会話クラスでもとうとう聞かれた。

きたか。この質問をされると毎回ドキドキする。汗ばむ。目が泳ぐ。どんな答えが聞けるのだろうという期待に押しつぶされそう。

大喜利を出されている気分である。あっと驚くような返事をして、期待に答えなくちゃ。

すごいことを言おうとして、返事にいつも詰まる。

今までにないような新しくて特別な返事をして、目がキラキラ、ナルホド!!!そうだったのかァ!!!と言われてみたい。

「続けることです」

アタマをひねってみるものの、結局いつもたどり着く答えを、恐る恐る言ってみる。ふぅん、といった感じでやはりリアクションは薄い。教室がつーんとシラケる。毎度心がすーすーする。芸人でいうところの大スベリである。

聞いている方は物足りない様子なので、なんだかとても申し訳ないような気持ちになる。また満足させられなかった。がっかりさせたかな。そわそわしてどうも落ち着かない。

「続ける」という言葉を「継続」にしてみたり「習慣化」と言い換えたりして言葉を足してみる。

どれもよく耳にする言葉達だ。なんのフレッシュさもない。もう味がしなくなったチューインガムみたいな。

つくづく、ヨガや筋トレ、スポーツやダイエットなんかと似てるなァと思う。

急にムキムキのマッチョにはなれないように、いろいろすっ飛ばして急にペラペラにはなれない。

続けていくうちにだんだんペラペラになっていくのである。ひとつの目安として、2000時間というものがあるが、2000時間やったら2001時間目にハイ、今日からついにペラペラ!急に英語が止まらなくなりました、ということでも無いのだ。

「どうすれば英語がペラペラしゃべれるようになりますか」

こないだも聞かれたがやはりこの問答は苦手だ。そもそも「ペラペラ」という概念が曖昧なのだ。

いまのところ、「ペラペラ」になったと思うまで続けることです、以外に答えようがない。

そもそも「目標」にするには「ペラペラ」は漠然とし過ぎている。他言語習得にはかなりの時間、お金、エネルギーを費やす。だからこそ過程に面白みを見出して楽しんでほしい。

語学学習をまずは細く長く続けていただきたい。命に関わるなど切羽詰まってないのなら到達するのは来世でもいいじゃないか。肩の力を抜いて英語をたしなんでほしい。

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